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栗原選手に「栗原の恵み」…激励に被災地農協がお礼

岩手・宮城内陸地震で被災した宮城県栗原市に北京五輪女子バレー日本代表の栗原恵選手が激励のメッセージを送り、地元農協の「JA栗っこ」が16日、お礼として地元産の野菜やコメを詰め合わせて「栗原の恵み」と名付けた農作物セットを栗原選手に贈呈した。

 栗原選手が所属する「パイオニアレッドウイングス」の本拠、山形県天童市でこの日夜、北京五輪出場選手の壮行会があり、農協職員や地元農家ら10人が訪れて目録を手渡した。栗原選手は「大変な時なのにわざわざ来ていただいてすごくありがたい。大好きなものばかりでうれしいです」とはにかみながら語った。

栗原 恵(くりはら めぐみ、1984年7月31日 - )は、日本のバレーボール選手。広島県江田島市(旧佐伯郡能美町)出身。ニックネームはコウ、メグ。プレミアリーグ・パイオニアレッドウイングス所属。血液型B型。

小学校4年生からバレーボールを始める。中学2年生だった1998年6月、バレーが上手くなりたいという気持ちから兵庫県姫路市の大津中学校にバレー留学をする。高校は山口県防府市の三田尻女子高校(現・誠英高校)に進学し、1年生時にインターハイ・国体・春高バレー優勝の高校3冠を経験する。3年生時には全日本代表のメンバーに選ばれた。

2003年、Vリーグ(プレミアリーグ)のNECレッドロケッツに入団。同年5月の黒鷲旗大会では若鷲賞を受賞した。同年11月のワールドカップでは、大山加奈と共に19才コンビと注目を集めた。翌2004年のアテネ五輪に出場し5位入賞を果たした。

2004年10月、NECレッドロケッツを退団。「NECのバレースタイルと、自分のスタイルが合わない」というのが主な理由であった。その後イタリア・セリエAチームへ移籍の噂もあったが、2004年11月、パイオニアレッドウイングスに入団した。

2004-05年第11回Vリーグは、『シーズン開幕後に移籍した選手はリーグ戦の参加を認めない』という大会規定から出場できなかった。2005年5月開催の黒鷲旗大会で公式戦出場し、チーム優勝に貢献。大会後、当時監督だったアリー・セリンジャーとの対立により一時期チームから離れていたが、8月中旬にはチームに戻り、2005-06年第12回Vリーグは開幕戦から出場。パイオニア2季ぶりの優勝に大きく貢献し、最高殊勲選手・サーブ賞・ベスト6賞を獲得した。

2006年、全日本代表に選出されたが、合宿中に左足有痛性分裂種子骨障害と診断され離脱、約半年間のリハビリ生活を送った。

2007年全日本に復帰し、同年ワールドグランプリでは全9試合に出場し、ベストスコアラー部門で125点の9位の成績を収めた。

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