[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
いまだにイトーヨーカドーもセブンイレブンもない四国ですが、ほっとする懐かしさがあります。 ぜひ勇気を出して四国を旅してみませんか。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
別子飴は明治元年創業の㈱別子飴本舗初代社長の長越智慎一が元禄4年から開鉱約280年(昭和48年3月閉山)まで続いた別子銅山を讃えて昭和13年9月に「別子飴」の登録商標取得したものです。
(株)別子飴本舗別子飴徳用袋には、えひめの特産みかん、お茶、いちご、ココア、ピーナッツ入りミルクの持ち味を1粒ごとに包み、いわゆる五つの味を色どり鮮やかに表現、一つのパッケージ(化粧箱)に詰めたものでです。
初期は「いよぢ別子飴」としてローカル的なものでしたが、本四連絡橋瀬戸内しまなみ街道開通にともない「瀬戸内海観光みやげ」として、四国路を代表する名産品になっています。
工場見学もでき、年間8000人が訪れているそうです。詳しいことは直接㈱別子飴本舗(愛媛県新居浜市 郷2丁目6-5 、TEL 0897-45-1080)にお問い合わせください。
砥部焼は、藩の財政を立て直すため、砥石くずを使った磁器づくりを命じたことに起源を発するといわれている。
藩主から命じられた杉野丈助(すぎのじょうすけ)が砥部の五本松という所に登り窯を据え、苦労の末に1777年(安政6年)にようやく白地に藍色の焼き物作りに成功したといわれています。
焼き物に必要な薪も近くの山々で豊富に採れたうえ、傾斜地に流れる渓流や小川は水車を据えるのに適しており、原料の砥石を砕き陶土にするのに盛んに用いられた。
毎年4月に行われる砥部焼まつりには10万人を超える来場者があって、2日間だけですが賑やかに行われます。
しょうゆ餅は松山城下では、ひな祭り・桃の節句の時に米粉と醤油・砂糖を原料にして、練り上げ、丸めて蒸したお菓子で、お雛様にお供えしたのが始まりとされています。
昔は各家庭で作られていた郷土菓子が、土産物となったもので、五色に色づけされるようになったのは最近のことだそうです。
(株)一六本舗しょうゆ餅 10個入には餅という名前が付けられていますが、実際には名古屋のういろうに似ています。
一六本舗は松山というよりも、愛媛県を代表する和・洋菓子店で愛媛県内に64店舗と香川県に3店舗あります。
創業が1883年(明治16年)で、創業年の「16」が社名の由来と言われています。
じゃこ天の歴史としては宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗(1591~1658)が故郷仙台をしのんで職人を連れてきて、生産をさせたのが藩史によれば始まりとされています。
原料や製法により、製造所ごとに若干、食味が異なるため、特定の店(製造所)の商品を愛好する人も多い。
きしきしという食感がありカルシウムやミネラルが一般の蒲鉾よりやや多い。
宇和島市のおでんには必ずといっていいほどじゃこ天が含まれている。
また肉の代わりにじゃこ天を使った「天ぷらカレー」は家庭料理としてメジャーである。
じゃこ天はカレー粉の後に入れることで固い食感を残すなど工夫をしている。昔ながらのじゃこ天は灰色をしていたが最近はきつね色のじゃこ天が多い。
2007年、農林水産省の「郷土料理百選」に選ばれる。
小豆は北海道十勝産の高品質のものを使用し、もち米については輸入ものでなく、国内産から厳選して使用しています。
さらに水については清流肱川の良質の水をイオン活性処理することによりミネラルが豊富なイオン活性水を使用しております。
この水は、水の分子が細かいので小豆がむらなくしっとり炊け、志ぐれの甘さにまろやかさが出ます。実際にひとくち生志ぐれはモチモチっとした歯ごたえと、程よい甘さで本当においしかったです!!